2010年11月12日金曜日

『変えてよいもの』と『変えてはいけないもの』

このところメンターM氏と密度の濃い時間を
共有させていただく機会が続いている。
昨日は銀座でお昼ご飯をごちそうになった。


その中で次のようにとても示唆に富んだお話があった。


『会社には「変えてよいもの」と「変えてはいけないもの」がある。
「変えてはいけないもの」とは、一旦変えてしまうと、
もうその会社でなくなってしまうもののことだ。』




「変えてしまうとその組織ではなくなってしまうもの」
とはなんだろうか?考えてみたい。






生物の遺伝子には種固有の情報が組み込まれたデータシートがある。
それがDNAだ。DNAは「生命の設計図」と呼ばれている。


遺伝子はDNAが複製されることによって次世代へと受け継がれる。
親から子へ、子から孫へ、ほぼ正確にその情報は引き継がれる。


人間で例えると、目は二つ、鼻は一つ、腕と足はそれぞれ二本、
といった基本的な情報だ。


近年、遺伝子組み換え作物が問題になっているが、
それらはこの「生命の設計図」を人間の手で直接書き換えたものだ。


極度に寒さに強い麦や、異常に大粒のトウモロコシといったものが、
すでに大量に生産され、我々の食卓に届いている。


(調べてみて驚いたのだが、ウィキペディアによるとすでに
全世界の大豆作付け面積の77%、トウモロコシの26%、ワタの49%が
遺伝子組み換え作物となっている。)


この技術を活用すれば、もっとさまざまな生命を作り出すことができる。
例えば生産性を100倍にした稲ができれば食糧問題は解決できるかもしれない。
鯨のような大きさのマグロができれば、大トロの値段はもっと下がるだろう。


けれど、それらはもう稲でもマグロでもない。
稲のような別の植物であり、マグロの味によく似た化け物なのだ。
このことは理解してもらえると思う。


人間に例えればもっとよくわかる。遺伝子操作によって、
チーターのような速度で走れる兵器人間や、
高等数学を瞬時にこなせるコンピューター人間をつくったとして、
それらを我々の子孫だと考えることができるだろうか。


私の答えは否だ。
DNAを変えてしまっては、もうその生物とは言えなくなってしまう。
だからこそ、生物にとってDNAは変えてはいけないものなのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・


では、組織にとって変えてはいけないもの(=DNA)とは何だろうか。
それは創業者、経営者、あるいは従業員といった
「個」を超えたところにあるある特別な「想念」だ。


極論だが、経営者や社員はかえても組織は組織たり得る。
けれど、その特定の「想念」を変えればもう、
その組織ではなくなってしまう、組織にはそんな「想念」がある。


ソニーも、ホンダも、パナソニックも、
創業以来、経営者は何人も変わってきた。
しかも創業者一族ですらない。


それでもソニーはソニーだし、ホンダはホンダだ。
社名は変わってもパナソニックはやはり松下だ。


理念や社是と言った言葉はその「想念」に付けられた
タイトルのようなものなのだろう。


創業時より日々の小さな「決断の連続」が組織の歴史を作ってきた。
その決断に伴うさまざまな思いの積み重ねが「想念」を生み出していく。


組織には生物と異なり、初めから明確な「生命の設計図」はない。
さまざまな経験を積み重ねていく中で、自ずから発生してきたものだ。


例えば音楽であれば「リズム」、絵画なら「タッチ」。
それこそが組織のDNAだ。


それは、意図せずとも「自己表出」してしまうもの。
そのように、DNAが自己表出し、
体現化されているものが「らしさ」と呼ばれるものだろう。


DNAは普段は目には見えない。
目には見えないからこそ、はっきりと言葉にして伝えにくいものだ。

組織のDNAは、もちろん創業者の生き様の影響を濃厚に受けている。
それをトレースすることなく、理解することは不可能なくらいだ。
けれど、それだけだとは言えないもの。


組織に関わるさまざまな人たちの中で、
交わされてきた数え切れないコミュニケーション、
その中で生じた喜怒哀楽や愛憎。
それらが全部ないまぜになって、
壮大な時代絵巻、大河ドラマを織りなしているのが組織の歴史だ。


その歴史の中からにじみ出ている「想念」こそがDNAなのだ。
だからこそ、組織の歩みを丹念に振り返ると、
かならずある「感慨深い想い」にかられるのだろう。


本来、ちょっとやそっとでは、かわらないもの。
いや、変えたくても変えられないもの。
それこそがDNAと呼べるものだ。


けれど昨今、遺伝子組み換え作物のように、
「変わってしまった」組織をよく見かける。


生き残るために(=利益を確保するために)、
組織そのものの「生命の設計図」に手を入れてしまっては、
もう元の生命体ではなくなってしまう。


八百屋さんがコンビニに変わる。
老舗旅館が高級ホテルに変わる。
レンタルビデオチェーンがネットコンテンツ屋になる。


それらはすべて業態の変化であり、適者生存のための変化だ。
けれど、その変化の末に生き残れるかどうかは、


その大変革の中にあっても、
『変えてはいけないもの』を持っているか、どうか。
『変えてはいけないもの』を理解しているか、どうか。
『変えてはいけないもの』を変えずにいられるか、どうか。


そこにかかっているように思えて仕方がない。


『強い種が生き残るのではない、変化に適応できた種が生き残るのだ。』
とは、経営論でよく用いられるダーウィンの言葉だ。


けれど、変化に適応するためにDNAまで書き換えてしまっては、
もうその組織はその組織でなくなってしまう。


経営環境が波のように常時変動している現代において、
組織は常に変態を余儀なくされる。


その中にあって経営者に求められる力は、
『変えてよいもの』と『変えてはいけないもの』を
見極めることができる力なのではないだろうか。

2010年11月10日水曜日

オフィスキレイ化計画、その後

オフィスキレイ化計画の一環で、ポスター2枚と、写真を飾りました。

ポスターは以前から好きだったJulian Opie氏の作品。
ロンドンのショップにネットで直接申し込んで取り寄せた。
サイトももちろん全部英語だったからちょっと心配だったけど、
航空便で届いた時はうれしかった。

ポスター自体は3枚で送料合わせて5,500円ほどで、
円高万歳の安さだった。
でも額縁屋さんで装丁してもらったら、
ちょっと高かったけど、まあよし!

これでオフィスがぐっと良い感じになりました。



写真は高山求さんのハワイの写真。
これがすごく素敵なのです。

藤沢の好日山荘の向かいにショップがありまして、
山グッズを見に行った時に目に入ってしまったのです。

見た瞬間、一瞬で虜になってしまいました。
ハワイの光、風、海、空、木々・・・

ハワイの空間そのものがぎゅっと濃縮されているような、
そんな写真たち。
言葉ではとても表現できないほど、素敵なのです。

ハワイは20年くらい前に一回行ったきりで、
大して思い入れがあったわけでもないのですが、
その写真たちのおかげでハワイが大好きになってしまいました。

大きな写真はちょっと高くて手が出なかったので、
小さめの写真を購入しました。

ハワイ島の海。沖合に光るスコール。
夕闇迫るコバルトブルーの空と、
夕日に照らされる雲のオレンジのコントラスト。
神々しい風景です。

毎朝机を拭くようになってもう2か月くらいたちます。
何回もへなっとなったリュウビンタイも、
懸命の水やりで元気を取り戻してくれました。

イチローは
『磨いたグローブで練習すればプレーの一つ一つを覚えることができる。
汚いグローブでやったプレーは覚えれらない。』と言っていました。

自分たちのオフィスを磨くことの意味はそんなところにありそうです。
オフィスキレイ化計画、着々と進行中です。

2010年11月2日火曜日

世界でたった一つの物語

先日ある方と電話で打ち合わせをしていた。
依頼されていたある原稿の内容についてだったのだ。

その方はある「イメージ」を私に伝えようとして下さるのだが、
私がなかなか理解できない。

私  「なるほど、こんな感じですか?」
先方 「うーん、そうじゃなくて、例えばさ、・・・・・」
私  「ということは、こうですね?」
先方 「いや、一概にはそうはいえないんだよ・・・・」
私  「じゃあ、こんな感じですか?」
先方 「んー・・・・」

こんな会話が20分ほど続いた。

コミュニケーションは難しい。

会話って表面上は言葉のキャッチボールだけれど、
本当はイメージのキャッチボールをしている。
そして、そのイメージとはそれぞれの人生経験によって
大きく異なってしまうもの。

例えば、「山の上に浮かぶ白い雲」といっても、
人それぞれ全く違う高さの山をイメージするし、
違う形の雲をイメージする。

ましてやそれが「顧客満足」とか「丁寧」とか「やる気」などの
『目に見えないモノ』だと余計に難しい。

そういう「難しいイメージ」を言葉でやり取りして、
伝えていくのはかなりの至難の業だ。というか、ほとんど無理だ。

電話のやり取りは一向に埒があかなかった。
私は途方に暮れつつあった。

会話が一段落したとき、
「じゃあ、とりあえず書いてみますから、一度見てもらえますか?」
そう言って電話を切ろうとしたとき、先方がこうおっしゃった。

「あのね、今ベストセラーになっている○○○○って本を読んでみて。
その本を読んだのがきっかけで今回のアイデアを思いついたんだ。」

「わかりました、読んでみます。」そう言って電話を切って、
その足で本屋に向かった。その本のことは全くしらなかった。

目当ての本は平積みになっていた。どうやら小説らしい。
手にとってぺらぺらと見て「これなら数時間で読めそうだ」と思った。

読み始めてすぐに引き込まれた。典型的な主人公の成長ストーリー。
ダメな若者がたくましい1人の大人になっていく。

読みながら先方が私に伝えようとされていた、
ニュアンス、背景、空気感といった、
言葉の後ろに隠れていたイメージが私の中でぐんぐん広がった。

そして、それと同時にそのイメージが私に熱を与えた。
要するに、感動したのだ。

そうなると早い。原稿はすぐに書けた。
先方さんも「いいですね!」と喜んでくれた。

あれだけ苦労した原稿が、あっという間に書けた。
なぜそんなことが起こったのか、考えてみた。

私に特別な「書く才能」があるわけでは決してない。
そうではなく、対象に対してリアルなイメージを持つことが出来て、
かつ、感動したら、誰だって書けるはず。

文章の上手い下手はあっても、そんなものを凌駕する文章になる。
小学校の読書感想文と同じだ。
その本に本当に感動したらいい文章(=伝わる文章)は書けるのだ。
(そこのところをわかっていない親や先生が多すぎる!)


・・・・・・・・・・・


さて、ここからが本題。
この経験で私はある非常に重要なことに気がついた。
そのことを書きたいと思う。

すべての経営者は、抽象的なイメージを伝えることの難しさを
日々感じている。
私も経営者の末席の末席に並んでいるで、
多少なりともそのことはわかる。

組織の理念、ビジョン、ミッション、バリュー。
それらを組織を通じて体現化していくことが経営者の仕事だ。

そのために、組織の構成員(従業員)に日々、さまざまな機会を通じて、
懸命にそれら(理念、ビジョン、ミッション、バリュー)を
伝えようとしている。

けれどなかなか伝わらない。
その苦悩は大きい。

経営者は孤独だとか、そういうことを言っているわけではない。
「伝えたいことが伝わらないこと」の損失の大きさを、組織の中で
もっとも実感しているのが経営者であろう、という意味だ。

そもそも1人1人の背景が違う。視界が違う。経験が違う。
バックグラウンドのすべてが違っているのだから、伝わらなくて当然だ。
しかも、伝える内容がすべて抽象的な「目に見えないモノ」なのだから、
その難易度は極めて高い。

その難しさが苦悩を生む。多くの経営者が半ば諦めながらも、
日曜の夜には月曜の朝礼のスピーチを考え、
経営会議では大声を張り上げ、
出張帰りの新幹線の中で独り社内報の原稿を執筆する。

そうなのだ。
ほとんどの組織には「あれ読んでみて」と言えるような
『一冊の本』がないのだ。

共通のイメージをつくり、コミュニケーションの土台となるような、
そんな『一冊の本』がないのだ。

今の私にはこのことが決定的なことに思える。
ないなら創ればいい。
私たちがその担い手になればいい。
それは多くの経営者の役に立てるのではないだろうか。

すべての組織には歴史がある。
その歴史は、創業者や経営者の生い立ちから始まっている。
創業時の紆余曲折があり、やがて成長期を迎え、変革を迫られ、
やがて第二、第三の波が創られていく。
すべての歴史はその繰り返しだ。

その歴史の中に物語りがある。
世界でたった一つの、その組織だけの物語だ。

その物語とは、自分たちが大切にしてきたモノ
(理念、ビジョン、ミッション、バリュー)が
体現されてきた歩みであり、組織という汽車の轍なのだ。
そこには数え切れないほどの喜怒哀楽があり、真実の瞬間がある。
そして、その一瞬一瞬があったからこそ、今がある。

そんな物語が一冊の冊子にまとまっていたらどうだろう。

それを読めばイメージがぐんと広がるような、
「あれ読んでおいて」と、たった一言そう言うだけで、
何十時間もの議論が削減でき、
リアルなイメージを共有化できて、
その上感動までしてしまう、

そんな自社だけの、世界に一冊の、物語ブックがあったとしたら。

「イメージの共有」+「感動」。
これが人を動かす。

社員が元気になる。
パートナー企業さんがいい仕事をしてくれるようになる。
お客様がますます応援して下さるようになる。
株主様や金融機関にもビジョンをわかってもらえる。
すべてのステークホルダーに読んでもらえたら、
その組織を中心とした共感の輪が広がっていくはずだ。

私たちの手で、お客様の組織の中にある物語を紡いでいく。
そんな仕事がしたい。それこそが私たちの使命だ。

思えばこれまでもずっとそんな想いで仕事をしてきた。

世界にたった一つの、その組織だけの物語を紡いでいくことで、
お客様の組織を元気にし、事業変革のスピードを高め、
働く人のモチベーションを高め、共感の輪を広めていく。

そんな役割を担いたいと思う。

2010年10月22日金曜日

Inside-out

去年の暮れにiPhoneを買って以来、
すっかりアップルの信者になってしまった。
iPadも買ったし、Macも2台持っている。

ちなみにMacとはアップルのパーソナルコンピュータのこと。
appleの世界ではPCとは他社製品のことを指す。
MacはあくまでMacなのだ。

さて、そのアップルが今度はMacBookAirを出した。
愛用のMacBookProは大のお気に入りだが、如何せんデカくて重い。
出張にちょっと持って行くのは何かと大変なのだ。

その点今度のAirは超薄型で軽量。
それでいてProと同等の性能だという。
しかも写真で見る限り、もう、たまらないくらいかっこいい。
http://www.apple.com/jp/macbookair/

いけない、いけない、と思いつつ、でも見るだけだからと、
昨日オフィスから歩いて5分のアップルストア銀座店に向かった。

「まだ入荷していないんです、近日中としか言えません。」
というスタッフさんに、なぜかホッとした。

オフィスに戻って仕事をしていると先ほどのスタッフさんから電話が。
「入荷しましたよ!取り置きはできないので、ぜひ見に来て下さい。」

あああ、こんなにすぐ入荷されるなんて。
まだ心の準備ができてないのに。
困った、困る必要は全くないのに困ってしまった。
困りながら、見に行ってしまった。

店に入るなり軽いめまいがした。
写真で見るより数段かっこいい。
思った以上に薄い。その薄さに驚く。
手にしてみると軽い。iPadよりちょっと重いくらいか。
これなら出張の時もかなりラクになるはず。
そして、アルミ削り出しのボディの存在感。

圧倒的にかっこいい。
ライトウェイトスポーツみたいだ。
ランチャストラストをイメージしてしまった。

「ほしい・・・」

いかん、絶対にいかん。7月にProを買ったばかりじゃないか。
ちょっと重いくらい我慢しろよ。体力がつくじゃないか。
今朝も数千円の支払いの件で嫁と口論したばかりじゃないか。
10万円の品物を衝動買い出来る身分じゃないだろ。
ダメダメダメダメ−!!!!

今日はなんとか理性が勝ってくれた。
店を出た時には動悸が激しかった。
当分アップルストアに近づかないする。(でももう一回見に行きたい。)



さて、ここから本題。



今日改めて思った。アップルって会社は本当にすごいと。
何がすごいかというと、イメージに一分の隙もないってこと。
特に店員さんがすごい。

プロダクト、TVCM、サイトなどから受ける印象と、
アップルストアのスタッフから受ける印象がまったく同じなのだ。

ん?って思うことがひとつもない。
これは本当にすごいことだと思う。

例えば、レストランやホテルでも、
スタッフの対応や一瞬の表情に違和感を感じることはある。

例えば、鉢植えの花びらが床に落ちているのに素通りするスタッフや、
新人スタッフの接客を見ている先輩がみせた一瞬のしかめ面だったり、
クレーム客にひたすらペコペコしている姿だったり。

そういうのが全くない。まるでディズニーランドのようだ。

同じような印象をもつのはパタゴニアの直営店。
それとスタバ、ユニクロ、IKEA、あとは昔の東急ハンズか。

それらの共通項は、二つある。

一つは商品知識が豊かなこと。
彼らは何を尋ねてもその場で即答する。しかも、
ラクラクと答える様子には余裕を感じる。

もう一つは、顧客に媚びないこと。
彼らはお客に尽くしているという感じがしない。
彼らは滅多なことでは「申し訳ございません」とは言わない。
それが気持ちいい。

彼らはよく勉強している。
そして、自社と自分の仕事に誇りと自信を持っている。
だから信頼を勝ち取れる。

企業の理念や哲学が、彼らの内部で、彼ら自身の考え方と一体化され、
矜持となり、モチベーションとなっている。

マニュアルを忠実に再現しているのではなくて、
彼ら自体の内面が自己表出している。
だからこそとても自然な対応ができるのだろう。

そこに感じるのは、強烈な自社への「共感」だ。
その「共感」が内から外へにじみ出ている。

成長を続ける企業には必ず内部に「共感」がある。
それがあって初めて外部(顧客、外注先、株主等)との共感が生まれる。
必ず「内から外へ」の流れが先にある。逆はない。

アップルストアにいる時の心地よさは、
その共感に身をゆだねる感覚なのだ。

そういう場所には磁力が発生するらしい。
自然と人・モノ・金が集まってくるようだ。

2010年10月15日金曜日

星の王子さま

サン=テグジュベリの「星の王子さま」を
最初に読んだのは高校生のときだったかな。

「いちばんたいせつなことは、目には見えないんだ」

キツネの台詞が胸に響いた。
響いたのに意味がわからなかった。
そんな言葉もあるんだなと思った。

今にして思う。
その時はまだ目に見えない大切なモノを大切にしてたんだな。

昨日久しぶりに読んでみた。
心がぶるっと震える感じがした。
今日もう一度読んでみた。
なんかちょっとわかった気がした。

その感じはとてもここで表現できない。
言葉にしちゃったらそれでもう違うものになってしまいそうで。

たいせつなことは目には見えないんだ。

2010年10月14日木曜日

オフィス“キレイ”化計画

オフィス“キレイ”化計画を実施して約2月たった。
ずいぶんと変わったもんだ。

机の上には書類が山と積まれ、パンフレットが箱から溢れ、
足下には紙袋が散乱し、PCの画面は誇りで薄汚れている。
以前はそんなオフィスだった。

一念発起してキレイにすることにした。最初は一人で勝手に始めた。
大量の書類をシュレッダーにかけ、書籍やパンフレット類を捨て、
整理棚を買って、書類はファイリングした。

その辺からメンバーに変化が起こった。
折角だからもっとキレイにしたい、という気持ちが起こってきたのだ。
いろいろなルールができた。

朝一番で机の上を雑巾で拭くこと。
PCと電話以外は机の上に何もない状態にして帰ること。

観葉植物をおいたり、アロマの香りがでる装置をおいたりした。
今度は壁に絵を掛けようという話になっている。

今ではオフィスを覗いてくれた方たちが、
「すごくキレイですね」と言って下さるまでになった。

そうなるとちょっと自慢したくなったりもする。
(だからこのブログを書いたりしてる)

変化はそれだけじゃない。

たった3人の会社だけど日報を書くというルールができた。
その日の仕事の内容や、感想、思いついたアイデアなどを書いて、
メーリングリストにアップする。もちろん僕も書いている。
朝会もミーティングの内容も変わった。

要するに、自分たちの会社を“愛でる”という感覚が
何かに付けて出てきたのだ。

コミュニケーションの内容も変わったし、回数も増えてきた。

自分たちが何者で、どんな存在でありたいのか、
自然にそんなコミュニケーションを繰り返している。

掃除しただけなんだけど、
たった2ヶ月でずいぶん遠くまで来たような気がする。

自分たちを愛する気持ちを持つこと、
やっぱりこれが基本なんだなあ。

それは実に簡単なことだった。
愛する、というアクションをするだけのことだった。
掃除をする、というアクションは、愛することとイコールなんだ。

2010年10月13日水曜日

銀座のおばちゃんの店

よく昼飯を食う店が銀座5丁目にある。
「勝」という小さな定食屋だ。
僕らは「おばちゃんの店」と呼んでいる。

鯖の塩焼き、鯖の味噌煮、アコウダイ、豚のショウガ焼き、
そして日替わり定食。メニューはいつもこれだけだ。

どれを食ってもうまい。素材にもこだわっているし、
板さんがしっかり仕込んで作っているのがわかる。

何を頼んでもお盆に収まりきらないくらいの
たくさんの小鉢がついてくる。
サラダ、炒め物、昆布、漬け物、冷や奴やソーメン、
その日によって数も内容も違う。これが楽しみ。

でもこの店の本領はここからだ。
食べ始めてからしばらくすると、おばちゃんが
「これ食べな」と次々とサービスをしてくれるのだ。

明太子や卵焼きをご飯の上にのせてくれたり、
唐揚げやフライなんかを出してくれる時もある。
お団子やお餅をくれたりするときもある。
コーヒーや自家製の梅酒なんかを出してくれる時もある。

食べきれないほど食わしてくれた上で、おばちゃんはいつも
「お腹いっぱいになった?」っと聞いてくる。満面の笑みで。

おばちゃんは僕らのお母ちゃんだ。
僕らは完全に子供になった気分でおばちゃんの店に行く。
あの店にいく親父たちはみんなそんな気分だ。

飯を食って対価を払う。店と客の関係。
でも、おばちゃんと僕らの間には
「かけがえのないもの」が確実に存在している。

僕はそれを信じている。
それこそが人の世の光だ。

いつしか僕らにとっておばちゃんは「かけがえのない存在」になった。
それは、おばちゃんが僕らを「かけがえのないもの」として
大事にしてくれたからだ。


戦略とかマーケティングとかブランディングとか、
そんなものは全部偉い人が後から考えた理屈だ。
すべては人間の愛情と情熱が通った後の轍に過ぎない。

おばちゃんはそのことを身を持って教えてくれる。

2010年10月12日火曜日

人生は短いんだ。

先日家の本棚の整理をしました。
不要な本を紙袋に入れて、ブックオフさんに持っていきました。

以前はあんなに食い入るように読んだ類の本を、
こんなにいとも簡単に手放せる自分が不思議でした。
大半はノウハウ本と自己啓発系の本です。

「○○日で新しい自分になる!」
「悩みがなくなる魔法の○○!」
「何もしないでお金がざくざく!」

この手の本がざっと20冊ほどありました。
今考えると不思議です。
そんなわけないやろ!と突っ込みたくなるタイトルにやられていた自分。

何かにすがりつきたかったんだろうなあ。
それなりに苦しかったということか。
いやいや覚悟がなかっただけだろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・

ここ何年かずっと自己啓発ブームだったそうです。
それが過ぎ去って今度は哲学ブームだそうです。

ニーチェの超訳本が売れたり、
サンデル教授の講義がテレビで放送されて話題になりました。

次は宗教ブームになるそうです。
哲学は難しすぎるっているか、教養が要りますからね。
僕なんかもうちんぷんかんぷんで。一応哲学科卒業なんですが。
もっと勉強しといたらよかったと思いますよ。

それで次は教育ブームがくると思う。
もう自分はおいといて子供に期待するようになるんじゃないかと。

次から次へとブームはやってくる。
なんだかそんなのは馬鹿らしい。
馬鹿らしいと思いながら気がついたらブームに乗せられている自分がいる。

きちんと哲学書にもはまったし、AKB48も大好きだ。
それはなぜだろう。

思うに、多分、普段何も考えず、ぼーっと生きているからだ。
いや、そもそも「考える」という行為は、実は自分ではできない

「無」から考えていくなんてとてもとてもできない。
所詮は外から来る情報の組み合わせを「考える」と思っているにすぎない。

だからこそ、どんな情報のそばにいるかで人生が決まってしまうんだろう。
何も考えずにぼーっと生きていると世間に溢れている情報にやられてしまう。
やられてしまった結果、気がつけばブームにはまっていく。

そんなものに巻き込まれないために必要なことが「教養」だ。
「世界」と「歴史」を俯瞰できる能力。それを「教養」という。

「教養」をベースとした上で、生きるコンセプトを持つこと。
何のために生命を燃焼させるか、だ。

コンセプトを持っている人間は、ブームにやられない。
コンセプトが本当に必要な情報を見極めるからだ。

まあ、それが幸せの答えになるかどうか、
という問いは置いておいたとしても、

「人生は短いんだ。」という宇宙兄弟11巻の台詞に、
ガツンと響いた人は多いと思う。

僕はやられた。

2010年10月8日金曜日

銀座の街で

ウチの会社のオフィスは銀座にある。
中央通りから何本か筋を入ったところ。
毎朝新橋駅から歩いて通っている。

今朝は秋晴れのいい天気。
いつものように中央通りに出たところでいつもと違った光景を目にした。
所々に人だかりができて、道路が水浸しだった。

何事かと思ってよく見てみると、歩道を掃除しているのだ。
それもかなり本格的に、磨き上げていると言っていい。

通りのお店やオフィスの方々が目の前の歩道を洗っているのだ。
若い人もいれば、年配の人もいる。
いかにも店主然、経営者然とした人もいる。
みな手に手にモップやバケツ、洗剤などを持って熱心だ。

和菓子屋さんも、海外高級ブランドの人も、メガバンクの人も、
みんなそろって掃除をしている。

中には“KEEP CLEAN”と書かれたベストを着ている人がいる。
何かのイベントなのだろう。

素晴らしいと思った。
「愛(LOVE)は名詞ではなく、動詞だ」と教えてくれたのは、
七つの習慣のフランクリン・コヴィー氏だった。

お客様を大切にする気持ち、
この街を大切にする気持ち、
この国を大切にする気持ち、
そして、自分たちを大切にする気持ち−。

それらはすべて何らかの「行為」によって成り立っている。
「行為」によって経験となり、可視化され、伝わる力を持つ。
そして、「行為」によってまた「想い」が生まれる。

私も思わずゴミを拾った。
そして、今こうしてブログを書いている。

2010年10月1日金曜日

そこに愛があるか。

個人的な意見だけど、持続成長する企業には愛がある。

社員への愛、
同僚への愛、
お客様への愛、
地域への愛、
協力会社さんへの愛、
ご近所さんへの愛、、、

よく見ないと見えなかったりするけれど、
しっかりあるんだよなあ。

チラシの端っこの方とか、
玄関の靴箱の中だとか、
パソコンのモニターに張られた付箋とか、
社長室の扉とか、
エントランスの一輪挿しとか、
電話しながらお辞儀してる営業マンとか、

そんなところに愛があるんだよな。

2010年9月15日水曜日

かけがえのないもの

組織には目的があって、それに必要な機能が求められる。
すべての組織でそうだ。
組織とは元々目的があって出来たものなのだから。

けれど、人間自体は単純にそんな風に出来ていない。
泣いたり笑ったり、つむじをまげたりもする。
ケンカもすれば恋もするし、感動したりもする。
だから少々ややこしい。

ややこしいから組織の中ではその辺のところは無視することにされている。
ただただ、売上を上げたり、プロジェクトを完遂するという目的のために、
その機能を果たすことを求められる。

けれど人間が集まって、何らかの行為をしていれば、
そこにはいろんなごちゃごちゃした愛憎がうまれて、
そいつがいい風にも悪い風にもいろいろと影響していく。

家族と同じだ。
家族も最初から家族なのではない。
いろんな出来事の積み重ねで生まれた愛憎が、
長い年月の中で堆積岩のように変異して、その家族らしさ、になる。

他人の家に行くとよくわかる。
その家の空気があって、においがある。
新婚さんの家はまだそのにおいが薄い。

企業にもそれがある。
その企業独特の「らしさ」があって、
それが空気にまでしみ出している。

僕はその「らしさ」が愛おしくて仕方がないのだ。

その「らしさ」とは歴史であり、しくみであり、
机の配置から、朝礼のやり方、名前の呼び方、決済の方法、
人々の表情、褒め言葉、叱り方、トイレの掃除を誰がするのか、
なんてことにまで、全部にしみ出している。

僕にはそれが見える。
よおく目を凝らせばきっと誰でも見える。

それこそが「かけがえのないもの」なのだ。
かけがえのないとは、交換できない、ということ。

家族が交換できないように、企業にもそれは必ずある。
部分的か全体的かは別にしても、必ずある。

それを忘れてはいけないのだ。
この世の中のいろんなところにはびこっている、
機能主義に打ち負かされてはいけないのだ。

ノルマが達成できない営業マンは交換すればいい。
自社に強みを築くよりもM&Aするほうが早い。
効率を考えればアウトソーシングした方がいい。
業績が悪くなれば派遣切りするのは当たり前。

それだとなんかおかしいでしょ。
そんなんじゃ成り立たないと思わない?
人間のやってる世の中なんだから。

甘ったれたことを言うつもりはない。
けれど僕は、世の中を人間の手に取り戻したいのだ。
まず家族、学校、そして、企業を。

2010年3月14日日曜日

自立と依存

カエサルは言う。
「何事にもまして私が大切だと思うことは、
自分の思いに忠実に生きることだ。
もちろん、他人にもそうあってほしいと願う。」

これこそが自立した姿だと思う。

しかし、時として人は自分の考えを相手に押しつけようとする。


こうすべきだ 。
こっちがいいに決まってる。
こんなに自分は頑張ったのに。
こんなにしてやったのに。

そう思ってしまう時点で依存だと思う。

2010年3月8日月曜日

もうすぐです

風邪がようやく治りました。ご心配かけました。
気が抜けてたんでしょうかね?反省しています。

それにしても、土曜も日曜も寒かった。
雨がそぼ降って、風も強くて、雨戸をばたばた揺らしていました。

布団に包まっていてもなんとなく寒くて。
ぶるぶる震えていました。

でもこの感じ、嫌いじゃないんですよね。
だって、春でしょ。もうじき。

どうあがいたってもうじき春になるじゃないですか。
この感じ、大好きです。

梅の花びらが散って、自転車のサドルについていました。
もうすぐですよ。

2010年3月1日月曜日

心がグルングルンになった一日。

土曜日曜とセミナーを受けてきました。
コピーライティングに関するセミナーだったのですが、
私に一番響いたのは「経営者としての生き方」でした。

『経営者たるもの24時間365日経営者であらねばならない。
すなわち、世の中すべての方がお客様だと思いなさい。
常に謙虚に、決しておごらず、すべての人に感謝して、
自分を取り巻く全方位に神経を張り巡らせて生きよ。
そうしてこそはじめて読み手の心に響くコピーが書ける。』と。

ビンビンに感動しました。
この一言だけで私には参加費以上の価値が得られました。

他にももっともっとすごい話はあったのですが、
守秘義務?がありそうなので、ここでは内緒にしておきます。


昨日は東京の街はマラソンでした。
朝、大門から乗ったタクシーが交通規制のせいでなかなか進めず、
結局乗った場所に戻って1380円払いました。

夕方は尊敬するM社長、K社長と沖縄料理を
ご一緒させていただきました。

またまたご馳走になったうえに、またまた勉強になりました。

『自己重要感を高く、覚悟を持って生きよ』と。


帰りの電車で『奇跡のリンゴ』という本を読みました。
人間離れした覚悟を持った一人の農夫の生き様がありました。
涙が止まりませんでした。駅のホームでぐずぐずになりました。

心がグルングルンになった一日でした。

2010年2月15日月曜日

吉田秋生先生の作品が大好きです。

高校のときによんだ「河よりも長くゆるやかに」以来、
漫画家の吉田秋生先生の作品が大好きです。

作品自体も大好きなんだけど、
その世界観が好きで、いろんな作品に出てくる音楽とか、
街とか、アーチストとか、すごく影響を受けたなあ。


「カリフォルニア物語」
「夢みる頃をすぎても」
「吉祥天女」
「桜の園」
「BANANA FISH」
「YASHA-夜叉-」・・・

みんな面白くて大好きだったけど、
一番好きなのが「ラヴァーズ・キス」だった。

「ラヴァーズ・キス」を読んで鎌倉という街が好きになって、
あこがれて、そしていつの間にか、鎌倉の隣町に住んでいる。
不思議だなあ。

そして、 今そのアナザーストーリー、として
「海街diary」シリーズが続いている。

本当に素敵ですよ。ぜひ読んでみてください。



追伸
今回の富山行きは曇ってて山が見えなかったなあ。

2010年2月12日金曜日

明日の楽しみ

明日は晴れたらいいのになあ。
明日は朝一番の飛行機で富山に飛ぶ。

羽田から富山に向かう飛行機は、
南アルプスに接近しつつ北上し、
北アルプスを槍ヶ岳付近でクロスする。

ということは、

晴れたらばっちり槍ヶ岳が見えるはず。
ばっちり見えたら写真アップします。

2010年2月5日金曜日

Life goes on

中一の息子は、試合に負けて一人で泣いていた。
翌日から6時に起きてランニングと素振りを始めた。

ブログを見たという懐かしい友からメールが来た。
15年ぶりだった。変わらない親しみがうれしかった。

雪の中で立ち止まった列車から、剣岳が見えた。
自立という言葉の意味を考えた。

生きることと仕事をすることが近づいてきた。
シンプルに生きられるようになってきた。

あなたたちの息子でよかったと、父と母に伝えることができた。
生まれて初めてだった。

コンセプトを持って生きることとは、
捨てることで自由を得ることだとわかった。

石井一男さんの絵を見に行った。
強い風の中に立つ一本の樹木の姿が心に響いた。

富山の愛すべき方々と感動を分かち合えた。
たぶん、ずっと、生涯忘れないだろう。


Life goes on
こうして人生は続いていく。

もがきながら、苦しみながら、
それでも道は続いていく。

これまでも、そして、これからも。



2010年1月21日木曜日

NHKの「プロフェッショナル」で

夜中に帰ると家内がテレビをつけっ放しで寝ていた。
そのまま見ているとNHKのプロフェッショナルという番組だった。
IBMの研究所に勤める全盲の女性プロジェクトリーダーの話だった。

14歳のときに事故で失明し、高校進学を断念せざるを得なくなる。
未来を夢見ていた少女にとって、他人には想像もできないほどの苦しみだったと思う。

彼女はそこから立ち上がり、盲学校で点字を覚え、
外国語をマスターする。

通訳になる夢はあきらめざるを得なかったが、
働きながら博士号を取得し、人生を切り開いていく。

今彼女は、目が見えなかったり、字が読めない人向けの
インターフェイスを開発するプロジェクトのリーダーをしている。

彼女は言う。「目が見えないことが私の強み」。そして、
「自分にしかできない仕事をして、世の中の役に立ちたい」と。

その台詞を聞いて涙があふれ出して止まらなかった。

「世の中の役に立ちたい」。
これほど人間の尊厳に満ちた言葉を他に私は知らない。

2010年1月20日水曜日

最大 対 満足

人はついつい「もっともっと、できるだけ、最大に」を追い求めてしまう。
しかし、それではいつまでも追い求め続けるだけの
むなしい人生を生きなければいけない。

執着心や見得を捨て、他人と比べることなく、
自分の満足の基準で選択する、ということを始めた瞬間に、
すべてが上手くいく。

もっとも大切なことは、自分のルールで生きること。

選択肢の多すぎる時代。
選択肢が多いほど、実は幸せレベルが下がっていくという。

選択肢を切り捨てるスキルを身に着けること。
このスキルこそがこれからの時代を生きる上で最も重要なスキルとなる。
それができれば幸せのレベルがどんどん上がっていく。

あなた自身が進化と提供を続けていれば、それでいい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
ざっとかいつまんだだけだけど、こんな内容だった。
自分の直感が、「その通りだ、間違いない」、とつぶやいている。

どうやらその「自分のルール」を見つける方法というのが、
「新ブレインダンプ」という手法らしいのだが。
詳細はまだわからなかった。

「コンセプトを持って生きる。」lこのことを実践し始めてから、
ずいぶんと生きるのが楽になった。そして、幸せになった。

それはまさに今、私自身の体験していることだったので、
音声を聞きながら、アグリー!!!って叫びたくなりました。

昨夜届いたメルマガ?についてあったURLをクリックしたら
すごいことが聞けてしまいました。びっくりした。

↓こちらから聞くことができます。

http://www.mrxmindset.com/newbd

2010年1月19日火曜日

雪の富山でおじさんと

先週、雪の富山で夜一人でメシを食おうと、
居酒屋の暖簾をくぐり、カウンターに座った瞬間、

斜向かいに座っていた、いい感じで酔っ払ったおじさん(66歳)が
「あんたはどこの人だ?」と声をかけてきました。

「東京からきました。富山はいい町ですね。」
「ああそうかね、ワシも19年東京に住んどったよ・・・」

それからおじさん・・・2時間話っぱなしだった。
注文する暇も与えないほどに一方的に話しかけてきて
私がよそ見をすると「聞いてるのか!」と怒り出す始末。

話が途切れると、すぐに、
「あんたはどこの人だ?」
「東京です。」
「ワシも東京に住んどったよ・・・」

これが繰り返されるんです。

いやあ、でも、大事なことを教えて下さったんですよ。
以下、おじさん語録です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「たとえ給料が10万でも20万もらってる人間と同じ分の仕事をしろ。」

「あんた、社長なら情報を発信しろ、それが上に立つ人間の役割だ。」

「どれだけ忙しくても勉強しろ。今より2時間早く起きればいい。」

「思いついたら0.1秒で動け。」

「親を大切にしろ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ろれつの回らない状態で出てくるネイティブの富山弁?だったので、
ホントはもっともっといろいろ話をしてくださったんですが、
私が聞き取れませんでした。すみません。

でもなんかうれしかったなあ。ホントにいい話聞かせてもらった。
ほっこりしました。
いいなあ、富山、ますます大好きになりました。

おじさん、ありがとうございます。
また今度あの店で会えたら、一杯おごらせてください。

2010年1月15日金曜日

ギリギリの闘い

北尾が毎日徹夜続きで仕事をしている。


自分も人生で何度か経験したギリギリの自分との闘いの時代。

毎日15時間勉強した受験の追い込み。
倒れるまで練習した体育会の夏合宿。
リクルート時代のきつかった営業。
そして、一昨年独立してからの1年半。

不安で辛くて逃げ出したい気持ちと、
あきらめたくない気持ちとのせめぎ合いが、
いつ終わるともなく続く。

でも今考えると、そんな時こそが成長できた時だった。
そして、そのあとに神様からの宝物がやってきた。

ゆうだい、お前さん、今輝いてるよ。
がんばろうぜ。

2010年1月9日土曜日

お年玉の使い方

息子(中一)がお年玉でゲーム機を買いたいといってきた。
余計なお世話だと思いつつ、一言いってみた。

「お金の使い方には二つある。消費と投資ってのがそれだ。
使ったらなくなるものが消費。将来につなげるのが投資。
中学生からは自分で自分を作っていくもんだ。
なりたい自分になるために、自分に投資してみたらどうか。」

わかったのか、わからなかったのか、神妙な顔をしてた息子が、
お年玉のほぼ全額をつぎ込んで買ったのが、これ。

「ジョニー黒木の魂のエース育成プログラム〜これで君も球速10キロアップ〜」


いやあ、びっくりした。
まさか中一が情報商材を買うなんて!!

彼が買ったのは、ゲーム機でもグローブでもなく、
「情報」だったのだ。しかも15,000円も出して。

確かに息子は野球が大好きで、熱心にやっている。
ピッチャーをやっているが、背が低いので球速が出ないのが彼の「痛み」だ。
その「痛み」をぬぐうために、なけなしのお金を出して彼が投資した対象が
なんと「情報」だったのだ。

すごい時代だと思った。
なりたい自分になるチャンスはいくらでもある。
その方法が昔に比べると考えられないほど広がっている。

「求めよ、さらば与えられん」
本当にそんな時代になったのかもしれない。

「自分が何を求めるのか」それが明確なだけでいいのだ。
それだけで「情報」がぐんぐん集まってくる時代になった。
本当にそう思う。

2010年1月6日水曜日

学ぶということ

『会社のコンセプトが見つかって以来、
どんな本を読んでも面白いんですよ。』

今日、ウチの小林がそんなことを言いました。
ああ、なるほど、確かにそうだね。

欲するものがシンプルで本質的なほど、
身の回りすべてのものから学びがある、
ということなのかもしれません。

学ぶとは単に知識を得るというだけではなく、
何かと共鳴し、つながることのように思えてなりません。

だからこそ学ぶことは楽しい。

どんどんつながっていきたい。
そんな一年にしたいと願っています。

2010年1月3日日曜日

富士の裾野にて

かわいがってくれた叔母が亡くなって、
静岡県裾野市に行った。

動かないままの叔母を見たら、涙がでた。
無条件で僕をかわいがってくれた。
末っ子の母をかわいがるように。

人は生まれて死んでいく。

ただそれだけなのに、それだけのことなのに、
とてつもない何かをこの世に残していく。

僕は何を残していくのだろう。
おばちゃん、ありがとう。

2010年1月1日金曜日

新年あけましておめでとうございます。

今朝もタロウ(ビーグル♂)と散歩にいく。
こいつには暮れも正月もない。
6時になると一声、ワン、と吠えて催促する。

ちょっと苦笑いして、ジーンズをはく。
息が白い。寒い。思わず頭からフードをかぶる。

タロウはいつものように小屋の前でしっぽをふる。
早くして、と言わんばかりだ。

綱をつけてやるとものすごい力でひっぱる。
家を出たらいつも左にいくのに、今日に限って右にひっぱる。

まあいいや、ヤツに任せてどんどん歩いていく。
凛とした空気、快晴の空。期待が高まる。

そらきた、橋のところまできたら、やっぱり見えた。

富士山。

我が国最長の曲線を左右にゆるやかにひろげている。
紺碧の空、雪の白。完璧な美しさ。

思わず手を合わせる。
タロウも立ち止まる。

この国に生まれてよかった。

あけましておめでとうございます。
どうか今年、この世が平和で安らかでありますように。